「今日は散歩に行きたくない」
子どもから、突然そう言われたらどうしますか?
「みんな行くから行こう」
「もう準備したから行かなきゃだよ」
そう声をかけることもあるでしょう。
一方で、
「そうなんだね。どうして行きたくないの?」
と子どもの気持ちを聞いてみることもできます。
では、子ども主体の保育では、子どもが「行きたくない」と言ったら、必ず行かなくてよいのでしょうか。
実は、ここには保育の難しさがあります。
子どもの気持ちを受け止めることから始まる
保育所保育指針では、一人一人の子どもの状況を把握し、子どもの主体としての思いや願いを受け止めながら保育することが大切にされています。
だからこそ、
「散歩に行きたくない」
という言葉を聞いたとき、まずはその気持ちを受け止めることが大切です。
「どうして?」
と問い詰めるのではなく、
「今日は散歩に行きたくないんだね」
と、その子の思いを理解しようとする。
もしかすると、
外が暑いのかもしれません。
疲れているのかもしれません。
友達との関係で何かあったのかもしれません。
散歩そのものが嫌なのではなく、別の理由があるのかもしれません。
子どもの言葉や表情、普段の姿を含めて考える。
これも保育者の専門性です。
では、「行かない」という選択を認めればいいのか
ここからが難しいところです。
例えば、子どもと話をしてみた結果、
「今日は散歩には行かず、園の中で遊びたい」
ということになったとします。
園内には玩具があり、他のクラスで遊べる環境もある。
安全面にも問題がない。
そこで保育者が、
「今日は園内で過ごそう」
と判断する。
これは、子どもの気持ちを尊重した保育の一つとして考えられるでしょう。
しかし、それが何度も続いたらどうでしょうか。
週に1回。
週に2回。
そして週に3回。
散歩に行かず、園内で過ごすことが当たり前になっていく。
ここには、別の問題が生まれてきます。
「子ども主体」と「子どもの言う通り」は違う
ここは、非常に重要です。
子どもの主体性を尊重することは、子どもの言う通りにすることではありません。
子どもが「嫌」と言ったら、すべてやらなくていい。
子どもが「やりたい」と言ったら、すべてやっていい。
そういうことではありません。
子どもの思いを受け止めたうえで、
「この子にとって今、何が必要なのか」
「この経験をどう保障するのか」
「他の子どもたちとの生活をどう考えるのか」
「園としてどのような保育をしていくのか」
を考える必要があります。
つまり、子ども主体の保育には、保育者による判断が必要です。
保育者が「考えなくてよい保育」ではない
私は、子ども主体の保育が難しい理由の一つは、ここにあると思っています。
一斉保育であれば、
「今日はみんなで散歩に行きます」
と決めることができます。
しかし、子ども主体の保育では、
「なぜこの子は嫌なのか」
「今の姿をどう捉えるか」
「この選択は、この子の育ちにとってどうなのか」
と考えなければなりません。
つまり、保育者の判断が増えます。
子どもの主体性を尊重する保育は、保育者が何もしない保育ではありません。
むしろ、
子どもの姿を見て、考えて、環境を整え、必要なところで援助する。
その繰り返しです。
保護者から「無理にでも連れて行ってほしい」と言われたら
ここで、もう一つ難しい問題が出てきます。
ある保育場面を考えてみます。
子どもが散歩に行きたくないと訴えました。
保育者がその思いを受け止め、対話した結果、その日は園内で遊ぶことになりました。
ところが、それが何度か続きました。
すると保護者から、
「無理にでも連れて行ってもらえないと、夜眠らなくて困るんです」
と、強いトーンで伝えられました。
さて、どう考えるでしょうか。
ここで、
「保育士がもう一人いればできたのに」
「人員配置が足りないからです」
と、すべてを人の問題にしてしまうのは、私は違うと思います。
もちろん、人員配置は重要です。
一人の保育者が対応できる人数や、個別対応の可否には、人的環境が大きく関係します。
しかし、このケースで考えるべきことは、それだけではありません。
「保護者の思い」も保育の中で考える
保育園は、子どもを中心に考える場所です。
それは間違いありません。
しかし、保育園は子どもだけで成り立っているわけでもありません。
保護者が子どもを預ける。
園が子どもを預かる。
その信頼関係の上に、保育園という仕組みがあります。
だからこそ、
「子ども主体だから、保護者の要望は関係ない」
とも言えません。
保護者が、
「家に帰ってからなかなか寝ない」
「生活リズムが崩れて困っている」
と伝えてきたのであれば、その思いも受け止める必要があります。
ただし、だからといって、
「保護者が言ったから、子どもを無理に連れて行く」
ということでもありません。
ここでも、保育者の専門性が求められます。
何を目的に散歩へ行くのか
例えば、
「散歩に行かなければならない」
ではなく、
「なぜ散歩に行くのか」
を考えてみます。
身体を動かすためなのか。
自然に触れるためなのか。
友達と一緒に遊ぶ経験のためなのか。
生活リズムを整えるためなのか。
地域との関わりを持つためなのか。
その目的を整理すれば、
「散歩に行く」という方法以外にも、子どもの育ちを支える方法が見えてくるかもしれません。
一方で、
「やりたくない」と言えば、いつでも活動から外れてよいとなれば、集団生活の中で必要な経験を保障することが難しくなる場合もあります。
だからこそ、保育者は「行く・行かない」だけで判断するのではなく、その子の姿と保育の目的を考える必要があります。
「子どもの最善の利益」を考える
保育で大切なのは、
「子どもの言うことを全部聞くこと」
ではありません。
その子にとって何が大切なのかを考えることです。
そのためには、
子どもの思い。
発達。
健康。
生活リズム。
集団との関係。
家庭での様子。
保護者の思い。
園全体の保育。
こうした様々な情報をつなげて考える必要があります。
そして、その判断を一人の保育士だけに背負わせないことも大切です。
一人で判断しないことも、子ども主体の保育
「この子は散歩に行きたくないと言っています」
「今日はどうしましょうか」
こうした相談ができる環境があることは、とても重要です。
担任だけで抱え込むのではなく、主任や園長に相談する。
職員間で情報を共有する。
必要であれば保護者とも話す。
そして、園として考える。
これがチームで行う保育です。
子ども主体の保育は、担任一人の判断力だけで成立するものではありません。
職員同士が対話できる環境があってこそ、子どもの思いを丁寧に捉えることができます。
【内部リンク:一人で抱え込んでいない?「保育士もインクルーシブ」で考える、チームで支える保育】
子ども主体だからこそ、保育者の専門性が必要
「子ども主体」という言葉は、とても魅力的です。
しかし、簡単な言葉ではありません。
子どもの思いを受け止める。
その背景を考える。
選択肢を用意する。
必要な環境を整える。
時には待つ。
時には援助する。
そして、時には「今はそれが難しい」と伝える。
その判断を、子どもの発達や安全、集団生活、家庭との関係などを踏まえて行う。
そこに保育者の専門性があります。
子ども主体の保育とは、
「子どもの言う通りにする保育」
ではありません。
子どもの思いを出発点にして、その子にとってより良い育ちとは何かを、保育者が考え続ける保育なのだと思います。
そして、その判断を一人で背負わせない。
園全体で考える。
保護者とも対話する。
そのための人的環境を整える。
これからの保育には、そうした視点がますます必要になるのではないでしょうか。
【内部リンク:「子どもの主体性とは?保育者が『待つ』ことの意味」】
【内部リンク:「子ども主体の保育」と人員配置の難しさ】


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